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折鶴派 藤間流について
流祖 三世藤間大助の突然の旅立ちが、
空に舞う鶴を思わせたことから折鶴派 藤間流と名付けました。
そして、この折鶴を六つ藤で包み、弟子の心を結ぶ紋といたしました。

折鶴派 藤間流は宗家藤間流の流儀に添いながら、 新たな一門として、
古典を重んじ、歌舞伎舞踊に通じる 品格ある踊りを旨としております。
また、踊りの中でかもしだす独特の「間」は 折鶴派 藤間流ならではのものでございます。

流祖が築き上げた踊りのすべてを受け継ぎ、
その心を伝えていくために、日々精進を重ねております。
流祖 三世 藤間大助

昭和4年、初代・日本医科大理事長・河野勝斉の三男として東京・本郷に生まれる。実姉に藤間紫。12歳で六世藤間勘十郎の養子となり、13歳で三世藤間大助を襲名し舞踊家として立つ。また、六世中村歌右衛門丈の芸養子にもなり、歌舞伎俳優として「中村藤太郎」を襲名し、歌舞伎界でも活躍。さらに俳優として大映映画やテレビ時代劇にも出演。 その後は舞踊に専念し昭和59年分家家元となる。フランス国際演劇フェスティバルに招待され、演出家としても高い評価を得る。さらに国立劇場の伝統芸能養成科の講師として開始当初から就任し、若手歌舞伎役者の育成に貢献。常に伝統的な古典の中でも革新的な姿勢を保ち、日本舞踊界に新風を招いた。 平成4年急逝。享年六十三歳。